[Back][Top][Next]
シリーズ 薬害肝炎訴訟 その10
国による全ての肝炎患者の救済を!! 2002年10月、フィブリノゲン等、血液製剤の投与によりC型肝炎に感染させられた薬害肝炎の被害者が、国と製薬企業を相手に東京と大阪の裁判所に損害賠償請求の訴訟を起こしました。その後、福岡、仙台、名古屋でも提訴され、全国規模の裁判として注目されています。現在、全国で73人の原告団となり8人が実名を公表して裁判を闘っています。東京では、いよいよ証人尋問に入りました。8月31日、主尋問(原告側からの尋問)、9月1日、反対尋問(被告側からの尋問)がありました。
「薬害肝炎訴訟」 バーカー氏の証人尋問
第11回裁判開かれる
8月31日の公判は、この裁判の山場ともいえる重要な証人尋問でした。米国では1977年11月にフィブリノゲン製剤が肝炎感染の危険性があることも理由に製造承認を取消しています。バーカー氏はその当時、米国食品医薬品局(FDA)で血液製剤の承認・規制を担当する部長だった医学者です。開廷時間が午前10時でしたから少し心配でしたが、傍聴席はほぼ満席となりました。証言台のバーカー氏はご高齢でしたが、はっきりとした口調で証言されました。同氏は1976〜77年にフィブリノゲン製剤についての「再評価委員会」を開いた経過について述べ、「有効性も、安全性もない二重の負け犬であり、ふたを開け(再審査)て、すぐに閉じた(製造販売禁止)ケース」と証言されました。フィブリノゲン製剤は、2千人〜2万人の供血をプールして作るため、一人でもHCV保有者の血液が混入すると全体が汚染されます。日本では旧ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)が製造・販売していました。同製剤は、出血を止める血液成分が足りない先天性疾患に対する医薬品ですが、出産時の止血剤として1980年以降に限っても約29万人に投与され、そのうち1万人以上がC型肝炎ウイルスに感染したと報告されています。厚生省(当時)がフィブリノゲン製剤の使用制限をしたのは1988年になってからで、使途を先天性疾患に正式に限定したのは1998年でした。米国FDAの承認取消しから21年も経っていたのです。こうした米国での情報は、日本の厚生省も知っていました。1973年に薬務局が監修した『生物学的製剤基準解説』で、全血輸血より7倍も同製剤が肝炎ウイルスに感染する危険が高いことを指摘し、より安全なクリオ製剤への代替治療をすすめていました。バーカー氏の証言で国の20年間の怠慢がうきぼりになりました。
第12回裁判開かれる
9月1日は、午後1時から反対尋問がありました。被告側の国と製薬企業の弁護士から1976〜77年当時に開かれた「再評価委員会」の審査内容について、いろいろと尋問していましたが、バーカー氏はご自身が提出した「意見陳述書」以外の尋問には諭すように応えておられました。最後に裁判長から約20分間、この裁判の争点と思われる内容について質問されたのには驚きました。閉廷したのは、予定の5時を40分近く過ぎていました。裁判終了後、弁護士会館で報告集会が開催され、バーカー氏も参加されました。席上、「熱心な弁護士グループに請われて証言台に立ったが、自分の証言が原告の方々の役に立つことが出来れば、これ以上の喜びはない」と挨拶されました。良識ある医学者としての真摯な態度が印象に残りました。9月28日は、日本の医学者である大林明先生の主尋問(原告側からの尋問)がありましたが、次号で報告します。